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いちばん星ブログ
神戸あんざんアカデミーの日常をお届けします。
大会で憧れの選手に近づける様に…
今回も段位選定に参戦させていただきました。
今回は祭が銅賞でした。やっぱし公会堂に行くと緊張し、
いつもとれている金がとれなくなります。
緊張に勝てるぐらいの自信をつけてきたいと思います。
段位選定も緊張で手がうごきにくかったです。
でも、とれていない種目が段をとれたのでよかったです。
目標は参段だったけど弐段で止まってしまいました。
3月こそは参段をとり、次からリボンがもらえる様に
精一杯頑張りたいと思います!!
栄でもいい結果が出せず、3位でふみとどまってしまいました。
でも伝票が入れたのが嬉しかったです。
伝票は昔の時の方ができてた様に思えます。
目指す選手はやはり、、、あの選手です。誰かはみな様のご想像で。
その選手にちょっとでも近づける様に精一杯努力したいと思います。

今回も最高のパフォーマンスが見れました。尾澤選手のはじき・声。
渡辺先生のはじきも見れ、最高の1日でした。ありがとうございました。
尾澤選手に「伝票勝つ!」なんて言っちゃいました(笑)
近づける様、頑張ります。
またまた、、、毎回恒例のチーム対抗。
愛知県名古屋と何度、勝負したでしょう、、、。けれど今回は、1番川名さんに得点が
近づいたと思います。
今回の様な試合がまたできたらいいと思っています。
私達神戸もちょっとは驚く試合ができる様、練習してきまーす!!
今回もありがとうございました。
今年もよろしくお願いいたします。

えみちゃん


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慈しみ深く美しい浅田真央選手の笑顔
フィギアスケート「誓い~ジュピター」
を踊る浅田真央さんを【美しい】と強く思いました。
演技の最後に両手を天にかざし仰ぎ見る
真央さんの瞳に、
宇宙からの光が注いでいるようで
【慈しみ深く美しい】
と思いました。
私は、その光はお母様の愛の光だと感じました。
お母様の光で包まれ、
深い悲しみも慈しみに変え、
喜びに満ちていたように感じました。


「今、自分の出来る精一杯の演技をしたいと思います」
インタビューに応える真央さん。
「今、自分できる精いっぱいの演技ができてホッとしています」

この言葉も、真剣に自分と向き合い、
今の自分の実力に甘んじることなく
目標を持ってモチベーション高く根気強く進み、
その姿をお母様に見せることが出来た喜び、
見てもらえた喜びが溢れていたのだと感じました。

今年一番の寒さ
昨日、セーターを手洗いしてベランダに干し、
次に洗濯機が回り終わって、それを干そうとしたら、
なんと、さっき干した洗濯物がカチカチに凍っていて、
それほど冷え込んでいるのだと、あまりの寒さにビックリ。

大寒の日本列島、各地で大雪になり交通の乱れや、
歩行者の転倒、携帯がかからなくなった混乱まで、
ニュースで報じています。

「この冬一番の強い寒気団が上空にありと」
天気予報で伝えていますが、
今年一番の寒さがいつになるのでしょうか?
明日も平年を下回る気温になり冷え込むそうです。
みなさん、あったかい美味しいご飯をしっかり食べて、
身体の芯から温めて、体調に気を付けて
風邪など引かぬよう気をつけましょうね!!


頭脳スポーツ界の一番星
スポーツ界の星
ダルビッシュ有投手(25)が、
アメリカ大リーグのレンジャーズへの移籍が発表されましたね。
そして、札幌ドームの記者会見で
「世界中の誰もに、ナンバー ワンと言われるピッチャーになりたい」
と何のてらいもなく語っていました。
試合でも練習においても、
真剣に自分と向き合い、決して今の自分の実力に甘んじることなく
目標を持ってモチベーション高く進んでいるからこそ、
すでに、
『世界中の誰もに、ナンバー ワンと言われるピッチャーになっている』
イメージが見えているのだと思います。

そろばん日本一の土屋選手
平成23年そろばん日本一の若松選手
10年連続暗算日本一の黒川先生
金本先生・G先生・K先生
W先生・尾澤選手・堀田選手
森選手・金本兄弟・赤堀姉妹・
もみじちゃん・さくらちゃん・
………
多くの
「頭脳スポーツ界の星」の皆さんも、
真剣に自分と向き合い、
今の自分の実力に甘んじることなく
目標を持ってモチベーション高く、
根気強く進み、
目標とするイメージが見えているのだと思います。


初めての大会は…
ぼくははじめこの競技会にでました。
入ったときから真けんなふんいきが流れていて、
とてもきんちょうしました。
ぼくは今2級で、だん位選定にはでなかったけれど、
小学生の部と総合競技にでました。
とてもきんちょうしました。
小学生の部は金賞をとることができました。
うれしかったです。

ゆういちくん


神戸新聞から「平和を祈る声 まとめ本に」
《昨年4月、神戸大学のロニー・アレキサンダー教授は、
 布とペンを持って仙台の避難所を訪ねると、
「津波のバカ・じしんのバカ」
「大槌の町を返せ!」と
 被災した方々が心の叫びを寄せた。
 海外では
「つながろう!!」
「ネパールは永遠に日本の友達です」
 と応援のメッセージが寄せられ、
 アレキサンダー教授は
『地球のどこかに(自分)を思ってくれる人がいて、
 互いに支え合っていることを感じて欲しい』
 と本にまとめた。》
 と神戸新聞に載っていました。

私が、初めてサイクリング車を買ったのは2001年7月
早朝のスイミングプールで出逢い、
どこで、どんな自転車を買ったら良いか、
どこそこの自転車屋さんで買ったらいい。
と教えてくださったのが、
ロニー・アレキサンダー教授でした。

当時、神戸大学の図書館をお借りして
勉強していた時には、
大学へ行く道の途中や校内で
時々(偶然にですよ)お会いしていました。

偉い方なのに、気さくに話してくださり、
にこやかに本を手にする教授と、
その活動が新聞に報じられていることが嬉しく、
とともに、
震災に関する活動、被災地の方々の記事は
どうしても私の目に心に止まります。



神戸新聞から「奇跡の歌、被災地をつなぐ」
2012年1月17日(火)の神戸新聞朝刊に

「しあわせ運べるように」

の歌を合唱する西灘小学校の子供たちが
大きく掲載されていました。
「しあわせ運べるように」
を歌う子供たちの瞳は輝き優しい眼差しで、
「私たちの歌声で、被災地の人たちに
 幸せを届けたい!!」
と願う、力強さが溢れています。

作詞・作曲したのは、西灘小学校の臼井 真先生。
吾妻小学校先生だった当時、
被災した神戸の街を目の当たりにして、
思わず紙に走り書きした詩。だそうです。

「奇跡の歌」と呼ばれるこの歌は、
被災地をつなぐ懸け橋となり、

西灘小学校の音学会によせていただくと、
この歌が歌われています。


1.地震にも負けない 強い心をもって
  亡くなった方々のぶんも 
  毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を 元の姿にもどそう
  支え合う心と 明日への 希望を胸に

  響きわたれ ぼくたちの歌 
  生まれ変わる 神戸のまちに
  届けたい わたしたちの歌 
  しあわせ運べるように

2.地震にも負けない 強い絆をつくり
  亡くなった方々のぶんも
  毎日を大切に生きてゆこう

  傷ついた神戸を もとの姿にもどそう
  やさしい春の 光のような 未来を夢み

  響きわたれ ぼくたちの歌
  生まれ変わる 神戸のまちに
  届けたい わたしたちの歌
  しあわせ運べるように
  届けたい わたしたちの歌
  しあわせ運べるように


PRAY FOR JAPAN
PRAY FOR JAPAN
2年かけて世界の料理を提供する
「世界の料理でアースマラソン」をされている、
「パレルモ」さんには
心をあったかくしてくれる本が置いてあります。

【PRAY FOR JAPAN】「世界が祈りはじめた日」
講談社の本が置いてあり、
食事が出てくる間にちょっとと思って読み始めました。

この本は、
3月11日の東北地方大震災の夜に20歳の大学生が立ち上げたWebサイトに、
世界各地から届けられたメッセージや写真を集めた本です。
世界の人々の言葉に涙が溢れて、溢れて止まりませんでした。
全ての人々のメッセージが温かくて、
ブータン国王の言葉が思い出されました。

本書の印税は全額が義援金として寄付されるとのことです。



【避難所で見た誇り】

避難所で、4人家族なのに

「分け合って食べます」と

3つしかないおにぎりをもらわない人を見た。

凍えるほど寒いのに、

毛布を譲り合う人を見た。

きちんと一列に並んで、

順番を守って物資を受け取る姿に、

日本人の誇りを見た。


【今、この瞬間も】

停電すると、それを直す人がいて、

断水すると、それを直す人がいて、

原発で事故が起きると、

それを直しに行く人がいる。

勝手に復旧してるわけじゃない。

俺らが室内でマダカナーとか言っている間

寒い中、

死ぬ気で頑張ってくれてる人がいる。


【温かい国】

4時間の道のりを歩いて帰るときに、

トイレのご利用どうぞ!

と書いたスケッチブックを持って、

自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。

日本って、やはり世界一、温かい国だよね。

あれみた時は感動して泣けてきた。


【未来を引き継いで】

中三の少年と父親が自転車で、

知り合いたちの安否確認のために移動していた。

たぶん震災前は、

少年も父も繰り返し反抗していたのだろう。

だが、父は父として力強く、

少年は、そんな父を慕っていた。

苦難の中では大人の経験が頼りになる。

被災地の父よ、母よ。

子どもたちに未来を引き継いで欲しい。


【停電の夜】

仙台の友の言葉。

暗すぎて今までに

見たことないくらい

星が綺麗だよ。

仙台のみんな、

上を向くんだ


スリランカでそろばん
いつも素直な気持ちで、
しっかりと先生の言う事をきいて、
一生懸命そろばんの練習をしてくださった、
たいち君
お父さんの転勤で引っ越すことになりました。
引っ越し先はスリランカ。

お母さんが、
「ここで
ずっとそろばんを続けたかったのですが残念です。
でも、『そろばんを持っていくように』と先生に言われたので」

と、ニコニコ嬉しそうな表情で話してくださいました。

「スリランカの学校でも授業でそろばんをしているんです。
ここで習ったそろばんを、スリランカに行っても出来るので嬉しいです。
〇年したらこの子も中学になりますが、
また、(日本に)帰って来ても、
またここ(神戸あんざんアカデミー)に帰ってきたいです。」

と話を続けてくださいました。

そろばんを学ぶ姿勢、素直で優しいたいち君は
神戸あんざんアカデミーでも、みんなのお手本でした。


たいち君とのお別れは寂しいですが、
私は、そろばんがスリランカでもされていること、
たいち君がそろばんを続けれること、
たいち君の素直さ、真剣な学ぶ姿勢は、きっと
スリランカの学校でもみんなのお手本になるだろうと、
お母さんのお話を伺いながら、嬉しい思いでした。





神戸から
東日本大震災の被害を受けられた方々へ
私は3月11日、テレビで初めて、
この東日本大震災の事を知って、
正直とっても怖かったです。
何もする気になれないほど怖かったです。
映像を見ているだけでもこんなに怖くて、
夜も寝れないほどなんだから、
被災地ではもっとこわくてつらい思いをしたと思います。
映像を見て、被災地の事を考えると、何かくやしくて、
涙が止まらないほど泣いていました。
私は、ちょっとのゆれでも怖いです。
でも、余震とかが毎日つづいている東北、
関東の人々の事を考えると、
私はとても弱いと思います。
食べたい物も食べれないし、お風呂にも入れない
被災地の事を考えると、
私はとても幸せな生活をしていると思います。
だから、今、普通に暮らせていることに、
毎日感謝して生活しています。
私は、東北・関東の人の中には、
そろばんを習っている人もたくさんいると思います。
津波で流されて使えなくなってしまった人や、
はじきたくてもはじけない人がたくさんいると思います。
だから、私からは、1つだけだけど、そろばんを寄付します。
たくさんの人に使って欲しいです。
1日でも早く、東日本の人々に、笑顔が戻ってきてほしいです。
私も、できることを一生懸命します。
東北・関東のみなさんがんばって下さい。
神戸から、1日も早い復興をお祈りしています。
         くみさん



179回段協大会で地木恒春先生が、
「神戸あんざんアカデミーの生徒たちが、
東日本の人達へ
「笑顔と希望の花を咲かせる小さな光」
 を届けようと、メッセージと絵を描いてくれました。
 そして、みんなが書いてくれたメッセージを、
 宮城県南三陸町志津川小学校に送り、
 校長先生からお手紙が届きました。
 心に残るお手紙を紹介させていただきます。」
と、くみさんのメッセージを読んでくださいました。


澤 穂希選手
なでしこジャパン澤 穂希選手が
女子最優秀選手に選ばれ、
2011年FIFA最優秀選手賞をも受賞しましたね。
男女を通じて史上初の快挙だとか。
澤選手は15歳からサッカーを初め現在33歳、

昨年12月、ある会の式場で
「なでしこジャパン」のことを挨拶に代えて話されていました。

つい数ヶ月前、三宮で澤選手達が、
女子サッカーのチラシを配っていました。
しかし、手渡そうとするチラシを受け取る人は
殆どいなかった。
それが、「なでしこジャパン」の優勝で
今なら、テレビに出、新聞に取り上げられるようになったのですから、
やはり「勝ち組」にならなければいけませんね。

私はこの「勝ち組」とは、
努力をいかにしたか、その努力をいかに長く継続したか。
ということだと捉えました。
「なでしこジャパン」の頑張りで
澤 穂希選手が女子最優秀選手に選ばれ、
2011年FIFA最優秀選手賞を受賞したこと。
それは、澤選手が15歳からサッカーを初め、
辛い時も、努力の成果が見えないときも
諦めずに今日まで
努力し続けてきたからこその結果、
最高のご褒美を与えられ、
自分の手にすることが出来たのだと思います。

「日本の選手でも世界最優秀選手になれるという夢を、
 子供たちに与えられたことに意味があると思う」
の澤選手の言葉は、

「努力し続ける」「長く続ける」ことの大切さを伝えていると思います。
「継続は力なり」
「努力し続けること」はきっと将来、自分の役に立ちます。

大会に掛ける意気込みは…
私は今回で6回目の出場で初めて出させてもらったのが
平成22年3月で私が4年生の時でした。
初めて出させてもらった時は31点(進)で銅賞もとれませんでした。
今回は金賞をもらいました。
最初のころからくらべるとすごくうれしいことですが、
6回中3回金賞でその3回とも39点です。
あと1点全て応用でおとしていました。
練習は正解するのに応用は本番でいつも絶対にまちがえてしまいます。
私は6年生なので3月が進は最後になります。
1回も10点をとれていない応用をがんばって、
最後くらい満点がほしいです。


ななちゃん

心繋げる糸電話
孫が「紙コップが欲しい」と言うので、
紙コップをどうするの?と聞くと、
「糸電話を作るの」
昨年12月
 MERRY PROJECTの水谷孝次さんから
「神戸で笑顔の傘」のイベントを行います。
との連絡を頂き、
長田の旧双葉小学校へ行った時、
紙コップアーティストLOCOさんの
糸電話のワークショップが行われていて、
私も体験しました。
紙コップ2個を糸でつないで2人で話をするのは、
私も子供の時に作りましたが、
何人もの人が紙コップに糸を通し、
天上の四方八方に糸をはったところに、
紙コップの糸を幾つもつないでいくと、
多くの人が一度に糸電話を体験できました。
ピンと張った糸を通して聞こえてくる声が
思いを届け、人と人とを繋げているようで、
嬉しい思いでした。

皆さんも紙コップで出来る糸電話で、
お母さんやお父さん、友だちと
おじいちゃんやおばあちゃんと
話してみてください。
楽しいですよ。







 



爽会
年の終わりに、
爽会(茶話会)を行いました。
神戸あんざんアカデミー(叶珠算会)
の卒業生も来てくださり、
結婚をして幸せいっぱいのHさん。
バイオリンを持って駆けつけてくれたT君。
Mさんも、Fさんも参加できませんでしたが、
コメントを伝えてくれました。
少しだけでもと、成長した姿を見せてくれたN君。
就職活動中の笑顔の素敵なIさん。
背丈がグーンと伸びたTさん。

初めに自己紹介後
生徒も卒業生も一緒に語り合ったり
フラッシュ暗算をしたり、
各教室の子供たちは、すぐに仲良くなり、
賑やかに元気に交流を深め、
子供たちはすご~く楽しそう。
私は、子供たちのパワーに圧倒され、
時が短く感じました。
限界は何処まで
黒川先生は、
「プリントを眺めていたら
 9桁・10桁も計算できるようになっていた。」
と話してくださいました。

「人の能力・体力は30歳頃から、
 低下していくと言われますが、
 そんなことは無いですね。
 やろうと思えば年齢に関係なく出来ます。
 練習はほんのちょっとしたところでも出来ます。
 交差点で止まっているときに、
 自動車のナンバーを見て、
 かけてみたり、足してみたり、割ってみたり、
 (集中しすぎて)電柱に当たらないように気を付けてくださいよ。

 世界のどこでも数字は付いていきます。
 電卓が無くなったらどうしますか?
 人間の限界は何処まで行けるのか。
 そんな気持ちで練習に励んで欲しい。
 そろばんを通じて人生に対応してもらいたい。」

還暦をすぎても力を伸ばし続けておられる、
黒川先生のお話は、

人の能力は偉大で、何歳になっても磨けば磨くほど、
どんどん伸びていくものだと思いました。
体力もそうなのかもしれません。

神山昌子さんは30歳から弁護士を目指し、
パートをしながら勉強を続け還暦前に弁護士試験に合格。
石井義啓さんは還暦を過ぎてから全国を
原付けバイクで旅行されています。
プロスキーヤーの三浦雄一郎さんは、
70歳・75歳でエベレストに登頂し、
さらに80歳再登頂を目指してトレーニングを
続けています。

短い期間の頑張りで終わるのではなく、
自分の成すそれを習慣とし、
長く継続することで年齢的限界を幻のものに
出来るのだと思いました。
ウガンダでそろばん指導
27年前、今、段協大会に参加しているみんなと同じように
競技をした人が、(今現在)アフリカのウガンダにおられ、
教育国際協力機構(JICA)を通じてアフリカ、ジャマイカのウガンダに
そろばん指導に行かれた、なおこ先生のお話。

ウガンダは何年も続く民族紛争の影響で
国は貧しく教育を受けたくても受けられない子供たちが多くいて、
数を数えようとすると「たくさん」と答える。
そうした国に若い青年たちが、
医者や看護師・橋を作ったり、電気工事、
野菜作りや稲作を指導したり、と奉仕活動を行なっています。
首都のカンパラにはビルがあるものの、
ウガンダにはガスや水道・電気は整備されておらず、
雨水を貯めて洗濯し木にかけて干す。
寝室はベッドと言う名の板切れが置いてあるだけ。
教育を受けなければ字も読めない、計算も出来ないので、
仕事に付くことができず、貧しさから抜け出せないので、
親は、子供になんとかして教育を受けさせたいと思いますが、
今は、月謝が要らなくなった義務教育も、
制服が買えずに受けさせられない家庭もあります。

校舎は掘っ立て小屋。
壁に黒色のペンキを塗った黒板に先生が書いた文字を
一生懸命一文字一文字を書き写して勉強している
子供たちの目は輝き、よそ見をする子は一人もいません。
何かをしたらご褒美、プレゼントが少なければふくれっ面をする、
そんなことは思いも及ばず、
一心不乱に勉強する姿は日本の昔の子供に見ることができます。


若い青年たちの中で、
シニアのなおこ先生がウガンダで活動されてこられたお話は、
過酷な環境の中でも、一心に勉強したいと思う
子供たちの笑顔、喜びが感じられました。
しかし、家の手伝い等で、なかなか学校に通えない子供たちの、
何とかして教育を受けさせたいと願いながらも、
貧しくて我が子を学校に通わせられない親の、
悔しさ、無念さ、辛さも伝わってきました。
そして、なおこ先生のバイタリティーと、
こうした活動が、「読み書きそろばん」の重要性を
伝える礎になるのだと感じました。
近畿大学会報に掲載
近畿大学の会報誌、「梅友」
平成24年(2012年)1月1日号
東日本大震災特集号に
【阪神・淡路大震災、私の記憶】
と題されて叶の文が掲載されました。


昨年11月終わり、役員会を終えての帰りしに、
「会報誌に掲載する記事を書いてくださるよう
 依頼していた人がダメになり、
 別の方にお願いしたけれどダメだったので、
 誰か阪神大震災の事を書いてくれませんか?」

とのことで、
「阪神淡路大震災のことは、昨日の事のように
 私の記憶の中にあるので。」
と書かせていただきました。

こんなちょっとしたいきさつで書いた私の拙文に
編集をされた方々が、
「読む人の心を引く原稿でしたよ。」
読んでくださった方が、
「若い人が元気で居なくてはね。と、
 生の優先順位に心乱さない、
 お母さんって強いですね。」
「その時の情景や状況、人の心が良く分かりました。」
とお電話をくださり、ありがたい思いでした。


為す術のない自然の驚異、
しかし、人々は自然から学び癒されることもあリます。
「ボランティア元年」と言われた
阪神淡路大震災時の人々の温かさは、
奇しくも災害に遭われた方・地域に繋がり
大きな力となって、
驚異の中でも人々はその持てる力の精一杯、
いやそれ以上の力を出して前へ向いて歩んでおられる。
風化させてはならない
阪神大震災、東日本大震災のこと、
人々の力で、母なる大地に木々が茂り、緑の風が吹き
人々が笑顔になりますようにと、願っています。







新年に
新しい年を迎えました。
2011年はいろいろなことがありました。
震災で両親を・子供を亡くし、
家を職を失った人々。

しかし、
自然の驚異に人々は無力では無い。
過酷な状況の中でも、
生まれ育った土地を愛し、
海を愛し、人々の絆深め、
人生に向き合い、
一日一日を、精一杯の思い、
ありったけ以上の力で
人生に向かい歩んでおられる。

精一杯の思い・ありったけの力、
土地を愛し・海を山を愛する心が、
繋がり絆を結んで、
皆様に光の花束を届け
2012年が明るい良い年になりますように。




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