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いちばん星ブログ
神戸あんざんアカデミーの日常をお届けします。
現地へ行かなければ分からないこと。

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2013年5月12日(日)車で、津波の被害のあった地域に連れて行っていただきました。
そこからは検問がなされてからしか入ることが出来ません。
そこでは日常の営みが出来る建物があるのに人の気配がなく、時折人を見かけるだけ。
2階の窓からお顔を出している男性は、
「決められたゴミ出しの日に合わせて家を片付けに来ている」とのこと。
車で少し行くと倒壊している家屋や、中のものが散乱したままになっている店、歪んだままの道路。
また少し行くと2年以上経った今も、津波で家屋が流されたあと雑草が生い茂るところに船が乗り上げていたり、流された車が何台も放置されていました。
セブンイレブンは6時~18時までの営業がやっと19時になったと、それでも、商品は棚の半分のみ。
がれきの撤去に道路の整備・地震・津波に加えて放射能問題の三重苦。
復興にはまだまだ時間が必要であると思いました。


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復興への灯・新しい希望への「集慈の塔」
2013年5月12日(日)車で、津波の被害のあった地域に連れて行っていただきました。
被害のあった地域になるまでは、全く今までと変わらない風景でしたが、
被害のあった地域、そこからは検問がなされてからしか入ることが出来ません。
そこでは日常の営みが出来る建物があるのに人の気配がなく、時折人を見かけるだけ。
2階の窓からお顔を出している男性は、
「決められたゴミ出しの日に合わせて家を片付けに来ている」とのこと。
車で少し行くと倒壊している家屋や、中のものが散乱したままになっている店、歪んだままの道路。
また少し行くと2年以上経った今も、津波で家屋が流されたあと雑草が生い茂るところに船が乗り上げていたり、流された車が何台も放置されていました。
セブンイレブンは6時~18時までの営業がやっと19時になったと、それでも、商品は棚の半分のみ。
がれきの撤去に道路の整備・地震・津波に加えて放射能問題の三重苦。
復興にはまだまだ時間が必要であると思いました。
そんな中、南相馬市原町区の“集慈の塔”に連れて行ってくださいました。
井本香如さんが地元の方々とともに、宗派を越えて全ての人が慈しみの心を寄せ合うことで、
復興への灯、新しい希望を見い出していこうという想いで始められたとのこと。
「東日本大震災による大震災・及び原発事故により失われし、尊きすべての命に捧ぐ。慈しみの心ここに集う」
と記された塔の周りには、
失われた方々の命、此処に訪れた方々の命を慈しむように一面黄色い菜の花が咲いていました。
南相馬へ
2013年5月10日 福島県南相馬へ

JR新幹線福島駅から南相馬に向かう道、バスから見える町も・南相馬についてからも、
全く被害がないように見えました。
5月10日に一日早く着き、町を歩いていましたら、
商工会議所や幼稚園・町でお会いした方がお話をしてくださいました。

昼食のため食堂を探し歩いていて、さゆり幼稚園に保護者の方々が子供たちを迎えに車で園庭に入って行かれていたお父さんが話してくださいました。
「原町地区は無線塔が設置されていて、地盤は固く地震による被害はそれほど多くはなく、屋根の瓦が崩れた程度の被害しかなかったですが、3月11日地震後は殆どの人が他の地域に避難して、仕事も少なく、原発問題もありなかなか戻ってこられない」とのこと。
こうして話してくださりながら、
「食事が未だなら自宅の近くに食堂があるから車で一緒に行きましょう」とご夫婦で声をかけて下さった言葉がありがたかったです。

幼稚園の先生もお話をしてくださいました。
「震災前は85人いた園児も、今は20人ほど。でも帰ってきてくれた子供たちが愛おしくて続けています」と。

原町商工会議所でもお話を聞かせてくださいました。
商工会議所には鎌田實さんやさだまさしさん・あつしさん・日野皓正さん・桂三枝さん・桂文枝さんの応援メッセージの色紙が飾られていました。

町を歩いていると、家の前の雑草を座り込んで掃除しているおばあさんに出会いました。
「その時は重い病気を抱えていて、病院も無く・薬も無く・毎日飲む薬を一日に一回とか何日かに分けてとかに飲んでいました。朝日出版から震災の経験の募集があったので、これは自慢ではないのですよ、この経験を伝えたいと思って娘と一緒に応募したら、娘が優秀賞を頂いて、私が入選しました」と話してくださり、
「ちょっと待ってくださいね」と言いながらその本を持ってきて、笑顔で私にくださいました。
会場の夢はっとの前には阪神淡路大震災1・17と東日本3・11の希望の灯りの塔が、相馬馬追の馬の絵とともに記されていました。

東北地方の人たちへの手紙28
東北地方の人たちへの手紙中尾亘
東日本の友達へ
元気ですか。
今のくらしは苦しいと思いますが、
たえてください。
いつか町は元気をとりもどします。
生き物ももどってきます。
東北地方の人たちへの手紙 26
                  
げんきでね
東北地方の人たちへの手紙 25
                   
東日本だいしんさいでこまってる人へ

家がなかってつらかったし、
メッチャさぶかったね。
いろんな人もなくなってとってもかなしい中
たえられたのはすごいと思います。
えがおをわすれずに。
東北地方の人たちへの手紙 24
                   
東日本の友だちへ

げんきですか。
今のくらしは苦しいと思いますが、たえてください。
いつか町は元気をとりもどします。
生き物ももどってきます。
東北地方の人たちへの手紙 23
                   

東北地方の人たちへの手紙 22
                  
東北地方と関東地方の方へ

わたしは、大きな地震をたいけんしたことはないです。
かなしいことにきれいな町を地震で
ぐちゃぐちゃにしているのを、ニュースでみて、
「たいへんだなあ」「てつだってあげたいなあ」
と思いました。
みんなひなんしてぶじにすう人の人が
生きててよかったです。
だけど、
1万人こえるぐらいの人がなくなっているからかなしいです。
すう人の人が家がないかもしれないから、
ぼきんをしていっぱい集めて、
東北と関東に届けたいです。
がんばって守りたいです。
なくなった人は家のしたじきにになっているので、
地震がおきたばあいは、
すぐひなんして、
ぶじにたすかってほしいです。
東北地方の人たちへの手紙 21
                   

じしんにもまけず
つなみにもまけず
がんばろう
日本
東北地方の人たちへの手紙 19・20
                 
つなみにもまけず。
じしんおもってくらさい。
つなみでながされたひとたちは
ひとつひとつ
そのいちねんおくらしてくらしてくらさい。
がまんしてくらさい。


えがおはたくさんのパワーがあるよ。
いっしょにニコニコえがお
がんばろうね。
東北地方の人たちへの手紙 18
                   
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しあわせ運べるように

じしんにもまけない 
つよい心をもって
なくなったかたがたのぶんも 
まいにちをたいせつにいきてゆこう

きずついたこうべを 
もとのすがたにもどそう
ささえあうこころとあしたへの 
きぼうをむねに

ひびきわたれぼくたちのうた 
うまれかわるこうべのまちに
とどけたいわたしたちのうた 
しあわせはこべるように



じしんにもまけない 
つよいきずなをつくり
なくなったかたがたのぶんも 
まいにちをたいせつにいきてゆこう

きずついたこうべを 
もとのすがたにもどそう
やさしいはるのひかりのような 
みらいをゆめみ

ひびきわたれぼくたちのうた 
うまれかわるふるさとに
とどけたいわたしたちのうた 
しあわせはこべるように
しあわせはこべるように

※ふるさとはどこでもあてはまるように
 かえています
東北地方の人たちへの手紙 16・17
                   
東北地方のみなさん、
だいじしんでおかねもおこめも
すべてなくなったのは
たいへんくるしいと思います。
こうべもいっかい、
だいじしんをけいけんしました。
東日本の人たちも
まけないで
がんばってください。



もとの東北にもどれるように
がんばってね。
東北地方の人たちへの手紙 15
                   
東日本のみなさんがんばってください。
東北地方の人たちへの手紙 14
                   

東北地方の人たちへの手紙 13
                   
 東北のみな様へ

東北の人達がんばれ
おうえんしているよ
ファイト

どんな事も負けない強い心を
持って下さい。
東北地方の人たちへの手紙 12
                    
わたしはじしんにあったことがないけど
そうぞうするだけでこわいです。
あなたたちはすごくゆう気があるから
またえがををとりもどしてください
東北地方の人たちへの手紙 11
                     
神戸から  希望   応援しています
  頑張れ東北
東北地方の人たちへの手紙 10
                     
一日も早い復興を願っています。
私もそのときは、図書室で二分の一成人式をやっていました。
最初はめまいぐらいのゆれで1分でおさまりました。
家に帰って、みんなすぐさまテレビをつけたと思います。
津波がすごいのをぼうぜんと見ているだけでした。
親戚が関東で、お母さんが電話やパソコンにかぶりついていました。
すごく心配していました。
(見つかり無事だった)
神戸も復興しました。17年たちました。
今も、その地震や余震のこわさは、一生のキズだと思う。
かなしい思いやくやしい思いは
みんな変わらないとおもいます!
東北地方の人たちへの手紙 9
                    



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